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  熊本水遺産


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 土木・建設物 (57 〜 68)
全12件

57. 豊岡の眼鏡橋 (とよおかのめがねばし)

豊岡の眼鏡橋
 江戸時代後期1802年10月に造られたもので、年号のはっきりしている石造眼鏡橋では熊本県内で最も古い橋といわれている。この橋は輪石と輪石を楔石で継いだ単一アーチ橋となっている。この橋を渡って川沿いに添って進むと旧道があり、国道208号線へ出た所に『田原坂攻撃官軍第一線陣地阯』の石標がみられる。
[場所]熊本市北区植木町豊岡

58. 古城堀 (ふるしろぼり)

古城堀
 県立第一高校の西側にあったお堀。以前は石垣の裾に水堀が巡らされ、蓮が一面に茂っていた。しかし、戦前の段山を削った土や昭和28年の大水害の際の廃土で埋められ、現在は古城堀端公園となっている。
[場所]熊本市中央区古城町

59. 石塘 (いしども)

石塘
 加藤清正は、城下町を洪水から守るため、春日付近で合流していた白川と井芹川を分離して、井芹川を高橋方面に向ける治水事業を行った。この分流のため築いた堤が春日、二本木地区に残る「石塘」である。日本で最も古い分流工事の一つとされている。
[場所]熊本市西区春日、二本木

60. 明八橋 (めいはちばし)

明八橋
 全国に肥後の石工の名を広めた名工、橋本勘五郎が手がけた石造の眼鏡橋で、明治八年に坪井川に架けられたので明八橋という。唐人町界隈の古い町並みや川の風景とあいまって、地域の景観を引き立てている。現在は人と自転車のみが通行できる。
【明十橋について】
 明十橋は、下流の明八橋と兄弟橋として地域に親しまれている。橋本勘五郎が手がけ、明治十年に架けられた。外観は石造の眼鏡橋だが、昭和の改修で、中身は鉄筋コンクリート製になっている。
[場所]熊本市中央区新町、西唐人町

61. 渡鹿用水  ※渡鹿堰、樋門、大井手、一の井手、ニの井手及び三の井手 (とろくようすい)

渡鹿用水
  慶長年間に加藤清正が築造したと伝えられる白川水系最大規模の水利施設である。渡鹿堰により白川をせき止め、樋門を通じて水を大井手(川)に引き入れ、一の井手、二の井手、三の井手に分水している。熊本市の農業の発展に大きく寄与した。現在の堰は、昭和28年の災害を受け復旧した堰である。  
[場所]熊本市中央区渡鹿ほか 

62. 江津塘 (えづども)

江津塘
 上江津湖から加勢川右岸沿いに続く長い堤防で、加藤清正が築いたと伝えられ、清正堤ともいわれている。この江津塘により、湿地帯だった土地に新田が造成され、上無田、下無田などの新しい村ができた。一方、江津塘の東側には湧水が集まって、現在の江津湖が誕生している。
[場所]熊本市東区画図東ほか

63. 中無田閘門  (なかむたこうもん)

中無田閘門
  加勢川下流に六間堰ができたため、昭和16年に加勢川と緑川を結ぶ閘門が設けられた。天草五橋ができるまでは、天草からの船の往来で賑わっていたという。全国でも珍しい閘門で「天明ミニパナマ運河」の愛称で呼ばれている。  
[場所]熊本市南区中無田町・富合町杉島

64. 御船手渡しと御船手跡 (おふなてわたしとおふなてあと)

御船手渡しと御船手跡
 富合町御船手地区は江戸時代、藩船の乗組員や水夫たちが多く住んでいる船頭町で杉島御船手と呼ばれていた。この御船手と川尻は、上流から中之島渡し、杉島渡し、御船手渡しの3つの船渡しで結ばれており、藩船の乗組員たちが外城町への買い物に利用していたのがこの御船手渡しだった。当時の石畳は現在もその姿をとどめており、石畳から対岸を望むことができる。
[場所]熊本市南区川尻3丁目・富合町御船手

65. 川尻の船着場  (かわしりのふなつきば)

川尻の船着場
  川尻町は、加藤清正の治世より年貢米の積出港として発展してきた。その船着場が加勢川沿いに往時の姿で残っている。船着場の長さは150メートルで、13段の石段が築かれている。かつて水運が運輸の中心だったことを物語る史跡である。  
[場所]熊本市南区川尻3・4丁目地先

66. 呑吐堰跡 (どんとぜきあと)

呑吐堰跡
 加藤清正の時代、緑川は富合町杉島で大きく北に湾曲しており、水はけが悪く大水害を引き起こしていた。そこで、杉島から緑川を直流させるため新川を堀削した。これが堀川呑吐と呼ばれるもので、緑川の放水路の役割をなした。ここに築かれた堰が呑吐堰であり、宇土一帯160町余の田畑を潤すと同時に、舟運のための砂防堰の役割も兼ねていた。
※写真は干潮で水が引いている時間に撮影したものです。
[場所]熊本市南区富合町杉島

67. 井樋橋 (いびばし)

井樋橋
 富合町田尻・南田尻地区にある井樋橋は、加藤清正公の時代に潤川流域のかんがい用として、石をたたんで造ったとされ、馬門石が使用されている。一部補修しているが、当時と同様に機能をはたしており、木製の観音開きの水門は潮の満ち引きにより自動で開閉する仕組みで、潮が満ちてくると門自体が浮き、閉まる構造となっている。
[場所]熊本市南区富合町田尻・南田尻

68. 桑鶴の轡塘 (くわづるのくつわども)

桑鶴の轡塘
 轡塘は、加藤清正が多用した肥後の伝統的河川工法のひとつで、河川の合流地点や水あたりの激しい部分に作られた洪水軽減方法である。桑鶴の轡塘は、緑川と御船川の合流部に築かれた轡塘の中でも大規模なもので、洪水時には遊水池が水を蓄え、周辺への出水を押さえるしくみになっている。
[場所]熊本市南区城南町千町
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